第2回旅行(1991-1992)⑤

旅行

中国→パキスタン→インド→ネパール→インド→タイ→台湾

政情不安なタイを後にして、台湾へ飛びます。働けたら働こうかなと思っていたら、結局2年近い滞在になりましたよ…。

台湾滞在編【1992-1994年】

台湾は初めて。物価高いなー。観光ビザで入って台北ホステルに滞在しながら、仕事探し。お金も少なくなってきたので、1日100元を目安に生活。弁当50元、タバコは長壽(白色)、観光なし。倹約生活でした。

観光ビザも切れるし、就労ビザ申請できるめどが立ったので、いったん飛行機で香港へ出ますラッキーゲストハウス滞在。お金ないので香港観光せず。無事、就労ビザ(停留ビザ)を取得して台湾へ戻り、外国人居留証もゲットして、高雄で働くことになりました

その後、高雄で1年、嘉義で8か月くらい働きました。お金を貯めながら、休日は台湾国内を旅行しました。以下、その写真です。

台湾東部・南部横貫道路

春節休みを利用して、バイクをレンタルして、高雄から台湾東部の海岸、花蓮などなど。さらに南部横貫道路を天池を経て台南へ。

南部横貫道路は春節中で宿の空き部屋がなくバイクで夜通し走ったよん(泣)。

嘉義の鞦韆節

嘉義にいたとき、鞦韆節(ブランコ祭り?)という伝統行事を見ました。あまり知られていないようですが…。

新港奉天宮(媽祖廟)

阿里山ツォウ族(鄒族)のお祭り

嘉義にいたとき、阿里山でツォウ族(鄒族)のお祭りがあると聞いて、バイクをレンタルして出かけました。途中、検問の警官に止められて、以下のように言われました。

  • ここからは山地管制区だから許可証がないと入れない。
  • 許可証は嘉義県の県庁で申請しないといけない。
  • 今から平地に降りて、県庁に行って許可証を取っても、戻ってくる頃にはお祭りは終わってるだろうねぇ。【同情気味に
  • ところで君、免許は日本の免許で、台湾のではないぞ。(本当は)あかんやんか。
  • そういうわけで?罰金を払えば入ってもいいよ

インドの警察のバクシーシとは違う様子なので、素直に罰金を払い(許可証代とほぼ同じ金額)通してもらいました。ありがとう。

で、お祭りを見学したのですが、何だか手をつないで輪になって踊ろうタイプのヤツ(台湾の少数民族=原住民ダンスはみんなこんなんなのか?)を見て、終わりました。

台湾でパスポート更新

パスポートを増刷して使っていたのですが、そろそろ更新時期なので、嘉義から高雄まで高速バスに乗って交流協会へ。タイの日本大使館へ送って更新するとのことなので、そのように申請します。それから数週間後、新パスポートが届いたとのことなので、高雄の交流協会まで取りに行きました。やれやれと受け取って、嘉義への帰りのバスの中でしげしげと新しいパスポートを見たら、ん?なことが。

国籍がAichiってなってるんですけど!間違いなく間違いか確認して、バスで高雄にとんぼ返り。交流協会の人も、「あれ、珍しいミスですね」。誰も気がつかんかったんかい!(受領証にサインした私も)。タイへ返納して再作成となり、嘉義・高雄間を何度も往復する羽目になりました。

高雄・愛河(端午節)ドラゴンボート

鹿港・北港

日月潭

嘉義からツーリングで阿里山、日月潭へ。いちおう、観光名所だけど、通り過ぎました。

嘉義の部屋

嘉義駅前のビルの住んでいた部屋です。窓なし、電気消すと真っ暗、昼か夜かわからない。エアコンつけてタバコ吸ってました。8か月耐えました。我ながら、お疲れ。

「ゲーバー」「ローバー」?

住んでいた嘉義駅前ビルの裏手路地にあるメシ屋。行くと、おばあちゃんが「ゲーバー(雞肉)、ローバー(魯肉)?」と台湾語で聞いてきます。要するに、メシは雞肉飯か魯肉飯かと聞いているのですが、最初はわからず、何?「ゲイバー」は行きたくないし、おばあちゃんだから「老婆ロウバ」と、訳も分からぬ返事をしておりました。ちなみに、嘉義は火雞肉飯(七面鳥肉)が有名です。私の定番はローバーパン(魯肉飯)とオーアータン(蚵仔湯)でした。

その後、この駅前ビル、火事で燃えちゃったそうだけど、みんな無事だったんだろうか。

火事と言えば、高雄のビルに住んでいた時も、下の階のヨガ教室からボヤが出て、煙で目が覚め、タオルを口と鼻に当てて階段を下りて外に脱出。幸い大事に至りませんでしたが、しばらくは煙臭さが部屋に残りましたね。ううむ。火事にはご用心。

1991年から1年旅行して、1992年から1年8か月台湾に滞在して働きました。お金も貯まったし、1994年から再び旅に出ます。

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