第2回旅行(1991-1992)④

旅行

中国→パキスタン→インド→ネパール→インド→タイ→台湾

パキスタンから陸路国境を越えてインドに入ります。

パキスタン・インド国境

アタリ・ワーガ国境セレモニー

オートリキシャで国境へ、徒歩で国境を越えて、バスでアムリットサルへ。

インド

アムリットサル

シーク教総本山ゴールデンテンプルハリマンディル・サーヒブ)を見学。

その後、ダラムサラへ。

ダラムサラ

ダラムサラではダライラマに謁見はしませんでしたが、しばし滞在して、のんびり景色とチベットの雰囲気にひたりました

ダラムサラから下界に降りて、いよいよインド世界に突入します。インド北部を観光。

デリー

人が多くてごみごみしてるなあと思いつつ、クトゥブ・ミナールなど観光します。その内部にあるデリーの鉄柱も見学。

首都は疲れるなあと思いつつ、ジャイプールへ。

ジャイプール(ピンクシティ)

ラージャスターンのジャイプール(ピンクシティ)を観光。まあ、こんなもんかと。

インド北部観光は続き、次はアグラへ。

アグラ(タージマハール)

アグラも人が鬱陶しいので、タージマハールだけ見てさっさと移動します。

カジュラホ

カジュラホの寺院群を観光。

その後、バラナシへ。北インドで相当人に疲れてインドになじめずルンビニなど仏教遺跡を見てから北上してネパールを目指します

ネパール

ポカラ

陸路ネパールに入り、まずポカラで休養。トレッキングはしないで、ペワ湖からマチャプチャレなどの山々を眺めて、だらだら過ごします。何というか、インドより静かで落ち着きますな

カトマンドゥ

ポカラから首都カトマンドゥへ。観光します。

ダルバール広場近くの宿に泊まり、シヴァ・パールヴァティ寺院やカーラ・バイラヴ、スワヤンブナートなど観光して回ります。しかし、政情不安でゼネストが起こり、夜間外出禁止令が出る事態に。Curfew(夜間外出禁止令)という英単語を初めて知ると同時に体験しました。晩ご飯に外に出られず、インスタントラーメン。何だか物騒になってきたので、ネパール東部に向かインドのダージリン方面に出ることにします。

ダージリン→シッキム→カルカッタ

ダージリンは雨と霧の天気。市場でダージリン紅茶を買って、夜、モモを食べながらトゥンバを飲んでいると、雨で商売にならないと言う占い師にただで手相を見てもらいます。過去のことが当たった?ので、未来を見てもらいました。(後で考えると、当たらずとも遠からじ的な未来でした

その後、シッキムを目指します。カリンポンを経てガントック

相変わらず雨と霧の天気が続きますが、カンチェンジュンガを眺めたり、僧院でチベット語資料を買ったりしました。チベット語資料は偶然にもダラムサラの図書館で(稲葉氏の日本語訳を)読んでいた「フゥラン・テプテル」でした。あらま。

静かなシッキムで落ち着きましたが、南インドを回る元気と気力がなく、カルカッタまで出ます。パラゴンホテルに泊まり、シラミに刺され、インドのサトシ君にも会い「10枚買ったらもれなくハワイ」の絵葉書を数枚買い、カルカッタお決まりの日々を過ごして、タイ・バンコックへ飛びます。

タイ・バンコック

インドのカルカッタからバンコックへ飛んだのですが、当時タイは2月に軍事クーデターが起こり、スチンダ政権が発足直後でした。抗議の民主化運動が起こり、ここでも夜間外出禁止令が出る事態になり、ジュライホテルから出られず。夜間外出禁止令はカトマンドゥに続いて2回目の経験でした。

政情も落ち着かないし、タイ滞在は早めに切り上げて、働けたら働こうかなと台湾へ飛びます。

⑤へ続く

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