第2回旅行(1991-1992)①

旅行

中国→パキスタン→インド→ネパール→インド→タイ→台湾

1991年4月に出発。第1回と同様、船で上海に上陸。前回タイのチェンマイでソンクラーン(水かけ祭り)を見ましたが、雲南タイ族のソンクラーンに間に合うように列車で上海から昆明へ入ります。今回は中国6か月ビザを取得したので、バス移動メインでゆっくり回る予定。

中国(雲南)

雲南・景洪のソンクラーン(潑水節)

曼听路が観光化

曼听路も観光化が進んで、中国人観光客がバスで食事に来るレストラン街と化していました蓮花旅社があった場所にはコンクリート作りのレストランができていて、ショック。ウエイトレスになっていたタイ族小姐が「昔の老闆は奥の通りに住んでいる」と教えてくれました。老闆に再会。以前の蓮花旅社(タイ族伝統の高床式建築)は売り払い、今は静かな奥の通りにある家(やはり高床式建築)に住んでいるけど、「老朋友」だから泊っていきなさいと。複雑な気持ちでした。泊めてもらったけど、もうここには来ないだろうなぁ…。

端麗(ミャンマー国境の町)

バスで保山を経て端麗へ。

基本的に川が国境になっていますが、あちこちに飛び地があるようで、中国だったり、ミャンマーだったりします。

雑貨屋台にはタイ製歯磨き(緑色の透明なメンソール味=タイで使っていたので懐かしい)など、陸路運ばれたと思われる東南アジア雑貨があります。ルンギを着ているミャンマー人もいるし、翡翠ビジネスをしているムスリム系何人?(バングラ人?)もいるし、何でもあり。ルンギを買って腰に巻き縛る方法を教えてもらいます。ついでに雑貨屋台で見つけた「ケンゾー」の怪しいタグを自分で縫い付けて、自家製「ケンゾーのルンギ」にします。市場の隅にある小籠包の店で蒸したカニ(川で獲れたやつ)と一緒に食べるのがお気に入りでした。

ある日、案内するからミャンマー側へ行こうと小姐に誘われ、渡し船に乗って対岸へ。小姐の自転車の後ろに乗って、お寺などを外から見ます。帰り道、ミャンマー側の国境警備員?に怪しまれて、罰金取られました。中国側に戻り、ジュース屋の別の小姐たちに報告がてら話をしたら、バカだねーと笑われました。

バスで大理を経て、麗江へ向かいます

麗江

オールドタウンは疎水が流れる落ち着いたいい雰囲気の街でした。

納西族(ナシ族)は独自の東巴文(トンパ文字)を持っています。東巴文の篆刻おじさんに会って、その後、病気でもないのに、診療所の有名なドクター和氏に会いに。玉龍雪山も見えました。

この後、いったん昆明に戻り、バスを乗り継いで雲南→四川→蘭州を目指します

雲南で何度も再開した香港人兄ちゃんのグループに昆明でまた再開。雲南三林=森林・石林・土林の話を聞き、サニ族の石林は観光化されているのでパスしますが、土林(元謀)は四川に行く途中なので寄ってみました。

元謀(土林)

元謀、異常に暑かったです。土林に行って砂ぼこりまみれのジーパンを洗い、ホテルの部屋で干してファンを回したら、みるみる乾きました。元謀原人もびっくり?

②に続く

コメント